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寺林村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
寺林村(近世) 江戸期~明治11年の村名三河国設楽【したら】郡のうち宇連川右岸,鳳来寺山南麓慶長7年から鳳来寺領村高は,「寛永高附」46石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに77石余慶長4年の村鑑帳によれば,家数22・人数121,田畑7町余,うち田9反余(鳳来寺旧領東郷文書目録)産土神の寺林大明神(大当峰神社)は,浅畑・下平・寺林・大峠・引地・橋平・湯谷7か村の氏神(富栄村地誌)臨済宗大徳寺は正和元年夢窓国師の開基という寺下川上流の余無行から出る頁岩(金鳳石)で硯を製造し,大野村の山形屋・碇屋に卸した鳳来寺参詣客は門谷から登って大野に出る人が多かったため,鳳来寺みやげとしてよく売れた(長篠村誌)明治11年南設楽郡に属し,同年富栄村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
寺林村(近世) 江戸期~明治11年の村名はじめ三河国宝飯【ほい】郡,寛永19年からは設楽【したら】郡のうち豊川水系巴川の上流に位置する慶長7年作手【つくで】藩領,同15年幕府領,天和元年志摩鳥羽藩領,享保11年幕府領,享和3年陸奥磐城平藩領,文久3年からは幕府領村高は,「寛永高附」63石余,「元禄郷帳」71石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに74石余作手36か村の産土神で天徳2年の創建という白鳥神社がある明治11年南設楽郡に所属同年白鳥村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」