ケータイ辞書JLogosロゴ 木賊洞村(近世)


岐阜県>久々野町

 江戸期〜明治8年の村名。飛騨国大野郡河内郷のうち。天正14年から金森氏領,元禄5年からは幕府領。村高は「元禄検地帳」1石余,「天保郷帳」7石余,「旧高旧領」では8石余。「国中案内」では家数7。「後風土記」によれば当村は縦5町・横1町。ほかに縦1町・横1町の枝村小糸があった。家数12・人数80。産物は米3石・稗10石・大麦3石余・小麦4石・楮2貫目・桑80貫目・真綿2把・白木綿4反・布11反・山鳥10羽など。村の西方は山,東方は小坊【こぼう】の枝村大坊【おおぼう】,南は長淀【ながとろ】へ10町,北方は引下【ひきさげ】へ10町,高山へは4里6町の道程。河内郷内の各村は険阻な山々で隔てられ,通行困難であったが,天正末年の金森氏以来改修が進められ,文化年間には登尾嶺【のぼりお】を切り通し,登尾峠と当村との間に高山の二木長右衛門・田中英積,下原の加藤三郎右衛門によって新路が開かれた。また天正13年金森氏の攻撃を受けた三沢氏の息女は,当地から対岸の大坊へ逃げ,そこで金森氏の兵に捕らえられたという。明治8年位山【くらいやま】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7345436
最終更新日:2009-03-01




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