ケータイ辞書JLogosロゴ 土田村(近世)


岐阜県>可児市

 江戸期〜明治22年の村名。美濃国可児【かに】郡のうち。はじめ幕府領。元和元年より尾張藩領。村高1,491石余。「濃州徇行記」によると戸数230,馬42匹。明治5年村明細帳の戸数258・人口1,003。太田宿より古い中山道の宿駅であったが,中山道の付け替えにより中山道より分かれて尾張小牧へ通ずる一宿駅となる。そのため宝暦ごろより衰退(濃州徇行記)。寛永17年太田宿との合宿で助郷村は25か村。勤高1万448石。大通行の時下りは鵜沼【うぬま】宿助郷が太田渡船場まで継立てを行い,土田・太田両宿問屋が立会のもとに土田・太田宿助郷村25か村が渡船場より御嵩【みたけ】宿まで継立てを行う。元禄7年土田宿助郷が廃止。助郷村は諸洞【もろほら】・大藪【おおやぶ】の2か村が抜け,代わりに室原村が入り伏見【ふしみ】宿の助郷村となる。枝村として下切・大脇・井ノ鼻・渡町があり「濃州徇行記」による戸数はそれぞれ14・47・40・50。枝村渡町に渡船場があったが,天明年間に木曽川河瀬が悪くなり今渡【いまわたり】との境近くが渡船場となる。また,河港として大脇湊がある。明治4年岐阜県に所属。同22年の市制町村制実施後も単独で自治体を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7345459
最終更新日:2009-03-01




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