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- 戸谷村(近世)とは
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戸谷村(近世) 江戸期~明治9年の村名播磨国飾西【しきさい】郡のうちもと莇野村の一部,貞享元年頃までに同村から分村して成立したと思われる夢前川支流菅生【すごう】川上流域姫路藩領はじめ前之庄組,宝暦5年からは町村組に所属(夢前町史)村高は,元禄2年の播磨壱国調帳(姫路城史)では226石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに230石余藩主酒井氏時代の領内郷村高覚書(姫路市史10)によれば,城下からの距離5里余,免5ツ1分,本田高226石余・新田高3石余,庄屋喜十郎・組頭六兵衛となっている天保9年の御巡見様御通行御道順并御答書(夢前町史)によれば家数78・人数328,寺1,犬米并諸役米1石4斗5升1合,草藁銀并諸運上銀142匁余,庄屋弥三郎とある寺院は,天台宗一乗山円明寺同寺には江戸初期黄檗宗の僧鉄眼が10か年かけて完成した一切経の一部大般若経600巻が残る江戸期一切経の版行は天海によって版行された6,323巻があり,鉄眼の6,956巻はそれに続くものというもとは河内村の神元神社に所蔵されていたが保存のため同寺に移したという(同前)明治9年莇野村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
戸谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」