ケータイ辞書JLogosロゴ 中村(近世)


岐阜県>安八町

 江戸期〜明治30年の村名。美濃国安八【あんぱち】郡のうち。枝村に善光・四ツ屋がある。慶長5年より幕府領,元和5年からは尾張藩領(同藩家老成瀬隼人正采地)。村高は「慶長郷牒」「正保郷帳」「天保郷帳」とも130石(うち畑90石・野年貢40石),「旧高旧領」では246石余。宝暦6年の戸数113・人口595。安政5年以降,美濃路墨俣【すのまた】宿の助郷村。当村だけで輪中を形成していたが,天保12年北方の草野(遊水地)20町歩を堤内に繰り込む懸廻堤の築造にも着手した。輪中内の水田は悪水停滞も比較的軽く堀田も少なかった。独立の輪中のため,周辺村々との間に渡船があり,長良川東の堀津(現羽島市)との間に三ツ俣渡し,中村川南岸の十連坊(現輪之内町)との間に十連坊の渡しがあった。枝村の善光は江戸期森部【もりべ】輪中の善光村富田某が開発したとされ,天保10年以降庄屋が置かれていた。明治4年岐阜県に所属。分教場として同6年登竜第三支所が開設された。同14年の戸数159・人口749。同24年の濃尾地震の被害は,人数884のうち死傷者15,戸数154のうち全壊130・半壊24(震災誌附1)。同30年名森村の大字となる。また善光は当地より分離独立し,大字外善光【そとぜんこう】となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7345524
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ