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- 長池村(近世)とは
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長池村(近世) 江戸期~明治初年の村名播磨国明石郡のうち瀬戸川・赤根川中流の間地名の由来は,東西約300mの細長い長池があることによる同池は現在東西両端は残るが,大部分は埋められている慶安~延宝年間の藩の新田開発により成立(明石市史)明石藩領野々上組に属す寛延2年の播磨国細見図では東長池・西長池と2つが見え,西長池が浜西村で,東長池が当村と考えられる村高は,「明石記」48石余,明石領地図裏(田中源左衛門文書)34石余,「天保郷帳」96石余,「旧高旧領」63石余「明石記」によれば,村の規模は東西2町26間・南北25間,土橋,小藪4,産土神は王子権現で延宝9年西脇村から勧請安政5年の「五海道中細見記」に,西長池明石屋太右衛門と本陣(長池本陣,または清水本陣ともいう)が記されるその本陣の門の一部は西長池と清水の境に残る東長池と金ケ崎の境に昔の立場茶屋があり,明治期には明石と加古川方面から来る人力車の客がここで降りて食事をしたこの茶店の建物は最近取り壊された明治初年長坂寺【ちようはんじ】村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
長池村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」