ケータイ辞書JLogosロゴ 中野村(近世)


岐阜県>八幡町

 江戸期〜明治8年の村名。郡上郡のうち。郡上藩領。村高は「慶長郷牒」739石余,「正保郷帳」410石余,「天保郷帳」217石余,「旧高旧領」204石余。村高の減少は川欠引か。長良川を渡し船で往来した対岸の向中野村は,江戸初期に見える村名で,村高は「慶長郷牒」93石余,「正保郷帳」30石余,「元禄郷帳」から以降は記載がない。中野村への吸収と思われる。宝暦期の戸数25(うち水呑5)。明治5年村明細帳の家数37・人数225,馬10匹。鎮守は稲荷社(郡上郡史)。安永2年には稗・真綿・大豆・油荏・帳紙が課役されている(郡上領地留記)。当地内の吉田川では奥筋から出された木材が筏に組まれ,筏場もあった。また八幡城下の入口近くであるため,巡検使・御鍬祭神輿等の送迎は当地内までであった。明治4年岐阜県に所属。同8年稲成【いなり】村の字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7345676
最終更新日:2009-03-01




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