ケータイ辞書JLogosロゴ 長良村(近世)


岐阜県>岐阜市

 江戸期の村名。方県郡のうち。慶長9年9月23日付の黒野村ほか32か村連署書上に「なから村」(山田文書),また同15年と推定される鈴木左馬助等連署書状の宛名に「方県郡長良村崇福寺」と見える(崇福寺文書)。その後,村域は上福光村・中福光村・真福寺村の3か村となったが,江戸期を通じ3か村を長良三郷・長良荘と総称した(新撰美濃志・濃陽志略)。岐阜町とは長良川の渡しによって結ばれ,また街道沿いにあるため町並みが続いていた。また長良川鵜飼の中心地で「新撰美濃志」によると鵜を使って魚を取る鵜匠は,毎年夏,舟に篝火をつけ鵜を放って香魚(鮎)を捕獲。当地の土産物は香魚と長良莱菔(俗に形が大きく長い大根)。鵜飼屋は上福光村と真福寺村に属し,鵜飼ははじめ鵜匠12人がおり,元禄年間に2人増したが,その後年々困窮し舟は7艘に,鵜匠は14人に減少,享保14年には7人になったという。鵜匠の諸役は免除されているが,鵜飼松木役(米11石5斗余)と鵜先大豆役(米1石1斗余)がある。鵜飼の役は5月5日から9月9日まで,舟1艘1夜につき鮎37匹を上納,うち7匹は大鮎,残りは小鮎である。町並みには船大工・左官・酒屋など諸商売があり繁栄,寛政年間には長良三郷の人口は2,685人を数えた。明治4年長良三郷の各村は岐阜県に所属。同8年真福寺村と上福光村が合併して長良村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7345739
最終更新日:2009-03-01




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