ケータイ辞書JLogosロゴ 渚村(近世)


岐阜県>久々野町

 江戸期〜明治8年の村名。飛騨国大野郡河内【かわうち】郷のうち。天正14年から金森氏領,元禄5年からは幕府領。村高は「元禄検地帳」34石余,「天保郷帳」62石余,「旧高旧領」66石余。「国中案内」では村高34石余・家数19。「後風土記」によれば,飛騨川の西岸に本村,東岸に枝村の堅香子【かたかご】があり,本村は縦4町・横1町,枝村は縦1町・横半町。家数39・人数250。産物は米30石・稗52石・大麦12石・小麦10石・大豆3石余・粟3石・桑940貫目・楮12貫目・藍15貫目・茶3貫目・大繭19貫目・小繭110貫目・真綿9把・白木綿30反・木綿縞10反・布37反・ウグイ1,200尾など。西方は山,東方は支村の堅香子へ8町,南方は門坂へ10町,北方は長淀【ながとろ】へ18町,高山へは5里。飛騨川には古くより撥板橋が架けられていたが寛政初期に朽ち,以後飛騨川に張った縄を伝って牛馬・人を渡す渡し船が用いられた。この渡船も増水時には川止めとなるなど不都合が多く,天保年間初期に溺死者を出してからは廃止。代わって上流の長淀村に欄干橋を架橋。また天保年間末年には従来の橋跡に再び撥板橋が架けられ,多くの人に利用された。明治8年位山【くらいやま】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7345742
最終更新日:2009-03-01




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