ケータイ辞書JLogosロゴ 成田村(近世)


岐阜県>海津町

 江戸期〜明治8年の村名。美濃国安八【あんぱち】郡のうち。「慶長郷牒」の村高2,049石余(うち尾張藩石河氏給知866石余,幕府領栗原盛清知行地191石余,旗本居倉青木氏の知行地991石余)。元和5年,栗原氏の知行地は尾張藩領竹腰氏給知となる。「尾州領村々覚帳」によれば,慶安4年の石河氏領の人数224・馬25。竹腰氏領の人数117人・馬9。旱損と悪水による水損が多く,石河氏領においては,延享元年から明和元年の20年間の領主取米は,多い年で276石余,少ない年は皆無で,平均124石余(海津町史)。「天保郷帳」の村高は1,883石余。「旧高旧領」では,成田村1,057石余・下成田村825石余とに分かれる。鎮守八幡社・烏大明神,寺院に唯然寺・西方寺がある。明治4年岐阜県に所属。同8年平原【ひらはら】村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7345787
最終更新日:2009-03-01




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