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- 西洞村(近世)とは
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西洞村(近世) 江戸期~明治30年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西洞村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西洞村(近世) 江戸期~明治8年の村名美濃国郡上【ぐじよう】郡のうち吉田川支流小駄良【こだら】川右岸に位置する江戸末期~明治初期に小駄良を冠称郡上藩領村高は「正保郷帳」48石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに47石余宝暦期の戸数6,うち水呑3(村高覚帳)明治5年村明細帳の家数11・人口54(うち職人1),馬4匹(郡上郡史),安永2年に大豆・稗・真綿・荏・紙・渋などに課役された(郡上領地留記)明治4年岐阜県に所属同8年初音【はつね】村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西洞村(近世) 江戸期~明治初年の村名美濃国武儀【むぎ】郡のうちはじめ下之保【しものほ】村のうち,近世後期に分村独立する当初は幕府領,元和元年から尾張藩領村高は「天保郷帳」「旧高旧領」121石余「濃州徇行記」によれば,地内を上有知【こうずち】街道が通り,民家は大知洞までの1里ほどの間に33戸がとびとびにあるという当村の佐藤権兵衛は,文禄年中の古証状を伝える草分け百姓神社に山王社・白山社がある明治初年下之保村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」