ケータイ辞書JLogosロゴ 迫間(中世)


岐阜県>関市

 南北朝期から見える地名。美濃国加茂郡のうち。建武3年8月10日の鷲見忠保軍忠状写に「今月十日当国於関・迫・北野馳向,御敵尾崎宮致合戦忠,討留数輩御敵候」とある(長善寺文書)。郡上【ぐじよう】の鷲見氏はこの年武家方土岐氏に従って各地に転戦していた。その後天文6年8月1日付の今枝弥八宛斎藤道三書状写に「今日午刻於迫間口分捕,無比類御働,神妙之至候」とあり,今枝氏の忠功を賞している(今枝氏古文書等写)。また,戦国期以降,当地は北方の小迫間に対し,大迫間とも称された。永禄8年(推定)11月1日の斎藤新五郎宛織田信長知行宛行状写には新知扶助分として「良沢二扶助 百五拾貫文 大はさま」とあり,その後年未詳大島雲八光義知行目録にも「六百八拾弐石壱斗 大はさま村」とある(竜福寺文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7346071
最終更新日:2009-03-01




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