ケータイ辞書JLogosロゴ 迫間村(近世)


岐阜県>関市

 江戸期〜明治30年の村名。加茂郡のうち。旗本迫間大嶋氏知行地。宝永年間村内は上・下に分村し,上迫間は幕府領となる。村高は「慶長郷牒」682石余,「天保郷帳」769石余,「旧高旧領」では幕府領386石余・大島氏知行383石余。文化12年の村明細帳では幕府領の村高351石余・戸数56・人口230・馬5匹,田27町2反余・畑2町1反余・新田3町4反余。溜池3か所と谷川で灌水するため,旱損を受けやすい。農間は山稼ぎなど。御膳籾などを上納,助郷は中山道鵜沼【うぬま】宿へ出役。大日堂・岩屋不動尊・白山権現社などがあった。明治2年の村明細帳(大島領分)によると65戸・336人・馬3匹,田32町1反余・畑1町6反余。寺社は大善寺・大雲寺・正渓寺・庵・神明宮・白山大明神など。また同年の幕府領分の村明細帳では56戸・252人・馬2匹,田29町8反余・畑2町2反余。明治4年岐阜県に所属。「町村略誌」では131戸・664人・馬27匹,民有地は田76町9反余・畑12町1反余,米664石・大麦90石・実綿32貫・瓦4万枚を産出。明治24年の濃尾地震では総戸数127戸・総人口736人のうち全壊95戸・半壊32戸,死者6人・負傷者39人(震災誌附1)。明治30年田原【たわら】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7346072
最終更新日:2009-03-01




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