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- 半原村(近世)とは
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半原村(近世) 江戸期~明治8年の村名三河国八名郡のうち豊川左岸,吉祥山南東麓元禄8年下宇利村から分村して成立(新城市誌)「元禄郷帳」「天保郷帳」では下宇利村枝郷と注記されるはじめ幕府領,寛永13年旗本安部氏知行,慶安2年安部氏は大名となり武蔵岡部藩領,明治元年からは改称して半原藩領村高は,「元禄郷帳」363石余,「天保郷帳」454石余,「旧高旧領」497石余地内には岡部藩三河飛領11か村を支配する代官所が置かれ,明治元年には藩庁に改められ,藩名も半原藩と称されることになった下宇利村から分村したのちも,年番で庄屋をたて,両村政を1人の庄屋が差配した寺社は,真言宗洞雲寺・観音寺,愛宕神社・竈土神社洞雲寺は領主安部信盛の次男信孝の法号を寺号とし,万治元年創建された安部氏の菩提寺明治8年富岡村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
半原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」