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- 東田原村(近世)とは
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東田原村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
東田原村(近世) 江戸期の村名添上郡のうち日笠村とも称した白砂川流域に位置する延宝年間~元禄年間に中貫村・大野村・沓掛村が分村「元禄郷帳」では当村枝郷と見えるが,「天保郷帳」では「古者,東田原村・沓掛村・中貫村・大野村四ケ村」とあるはじめ幕府領,元和5年からは伊勢津藩領村高は,「慶長郷帳」「寛文郷帳」ともに544石余,「元禄郷帳」253石余,「天保郷帳」547石余「山本平左衛門忠辰日並記」の宝永7年2月15日の条に「当邑十七歳已下之男子等,如例年涅槃勧家々遵行」とあり,釈迦入滅の2月15日に子供涅槃会を行う風習があったことがわかる元禄年間~寛延年間に日笠上村と日笠下村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
東田原村(近世) 江戸期の村名添下郡のうち淀川水系天野川上流域に位置するはじめ幕府領,元和元年からは郡山藩領村高は,「慶長郷帳」「寛文郷帳」ともに1,072石余寛文年間以降延宝7年までの間に北田原村・南田原村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」