ケータイ辞書JLogosロゴ 飛騨瀬荘(中世)


岐阜県>関市

 鎌倉期から見える荘園名。美濃国のうち。嘉元4年の昭慶門院御領目録に見え,亀山院の時拝領したもので当時今出川入道相国(西園寺条実兼)が知行しており,年貢の沙汰に及ばずと記されている(京都大学所蔵古文書集)。以後西園寺家に伝領され,建武2年藤原公重宛の後醍醐天皇綸旨にも見えている(古文書纂・柳原家記録)。一方,「美濃明細記」所収土岐系図には,肥騨瀬宮内少輔詮直・満康の名が見え,加茂郡肥田瀬に住し,応永の乱で大内氏に応じて土岐頼益に討たれたとあり,応永29年には「美濃国肥騨瀬郷地頭職」等が土岐肥田瀬三郎持康に安堵されている(徳川黎明会所蔵文書)。その後永禄8年(推定),堂洞合戦のあと織田信長が,斎藤新五郎に与えた新知扶助分の中に「百四拾貫文 ひたせ」がある(備藩国臣古証文)。なお,大永5年少林寺が,天文21年如意庵(寿福寺)がそれぞれ創建されたという。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7346289
最終更新日:2009-03-01




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