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広島村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
広島村(近世) 江戸期~明治12年の村名県南東部,中川と江戸川との間の沖積地に位置する葛飾【かつしか】郡松伏【まつぶし】領のうち古くは八郷下河辺【しもこうべ】荘に属したという幕府領慶長年間の開発にかかるといい,はじめは広島新田と称した村高は「田園簿」では「広島新田」として564石余,うち田533石余・畑30石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」では681石,「旧高旧領」では683石余,村の規模は,東西8町余・南北13町余化政期の家数65軒用水は二郷半領新田用水を利用鎮守は稲荷3社・第六天社寺院は新義真言宗自性院・同地蔵院・羽黒派修験蓮花院など高札場は村の中央にあり,小名は上組・中組・下組明治4年埼玉県に所属同9年の戸数80・人口470,馬10,耕作船54下赤岩村に飛地がある明治12年北葛飾郡への所属に際し,南広島村と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」