ケータイ辞書JLogosロゴ 福光郷(中世)


岐阜県>岐阜市

 戦国期から見える郷村名。美濃国方県【かたがた】郡のうち。「蔭涼軒日録」長享2年6月5日条に「雲頂院領濃州平田西庄并福光郷内崇福寺」とあるのが初見。下って永正15年12月27日付の田中忠彦宛伊勢神宮御師甚三郎貞給旦那職売券に「福満ニてひこ松座小三郎親子参宮之時ハ,田中当ハ禰宜殿江御宿可有者也」と見える(松木文書)。織豊期に入り,天正3年正月11日織田信長は斎藤玄蕃助に当郷を一円に扶助しているが,郷内の段銭50貫文は織田伊勢守信安の息女に渡すよう命じている(南陽堂楠林氏文書/織田信長文書の研究)。地内の崇福寺は,土岐成頼が悟渓宗頓門下の独秀乾才を招いて建立した臨済宗妙心寺派の名刹で,戦国期は土岐氏の一族といわれる快川紹喜が入院している。のち,織田信長・信忠父子の位牌所となる。江戸期の中福光村と上福光村のあたりか。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7346443
最終更新日:2009-03-01




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