ケータイ辞書JLogosロゴ 二ツ木村(近世)


岐阜県>墨俣町

 江戸期〜明治30年の村名。安八郡のうち。はじめ黒野藩(加藤貞泰)領,明治15年黒野藩廃絶後は石黒善十郎領,のちの尾張藩領石黒善十郎支配。この間32石余が慶長7年〜寛永11年まで旗本六之井加藤氏知行地。村高は「慶長郷牒」32石余,「正保郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」は共に152石余。寛政期尾張藩領の戸数23・人数110。田畑13町21歩。用水はなく天水のみに頼ったが,水損が多く,悪水は,墨俣・西ノ橋・二ツ木との組合杁で森部【もりべ】村(現安八町)の裏から長良川へ落とした。墨俣宿へ人馬を三日役54人出す。当村から名古屋へ陸路8里,船路15里の道程。八幡社がある(濃州徇行記)。明治4年岐阜県に所属。同24年の濃尾地震では人口139のうち死傷者6,戸数25のうち全壊24・半壊1(震災誌附1)。同30年墨俣町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7346481
最終更新日:2009-03-01




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