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「二ツ屋村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

二ツ屋村(近世)


 江戸期~明治8年の村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7346485]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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二ツ屋村(近世)

江戸期~明治17年の村名越前国坂井郡のうち福井平野に流れ出る九頭竜川右岸,加越山地西麓に位置する地名の由来は,野沢家と立花家の2軒が当村の草分けであったことにちなむという天正12年8月3日の丹羽長秀知行宛行状に「一,五拾石弐斗七升九合 粟田島内二屋村〈はし本組〉」と見え(内閣土佐国蠧簡集残篇),慶長国絵図では粟田島村に含まれているはじめ福井藩領,正保2年松岡藩領,享保6年から再び福井藩領村高は,「正保郷帳」64石余うち田39石余・畑24石余,「元禄郷帳」「名蹟考」「天保郷帳」「旧高旧領」も同高安永2年の村鏡によると,芝原領としての二ツ屋村は田7反余・畑8反,年貢率は7分5厘,諸役銀として御鷹餌代銀14匁2分3厘・川除銀213匁4分5厘・川役銀28匁1分6厘・舟役銀1匁6分5厘,山手米2石6斗,家数10・人数48(男27・女21),牝馬3,冬から春には莚・縄・俵・草鞋・馬沓・木綿を作った当地には坂井郡一帯を潤す用水の取水口である鳴鹿大堰が設けられた十郷用水や新江用水の取入口もあり,文化年間には新規に江口を開いたとして,下流の内田村ほか16か村との間に争論があったまた鮎などの簗漁が盛んで,明和7年7月13日夜から15日にかけて当地に簗をかけた件で丸岡藩領の上金屋村と争論になり江戸出訴となるが,同9年5月円満解決したしかし,同年8月突然58か村より村民が大挙して当村の簗を取り払うという事件が起きた江戸表へ訴えると寺社奉行松平伊賀守より検使派遣となり,翌安永2年三谷検使は寄永村教徳寺に到着,巡検し同年7月晦日に解決,簗漁の期間は春は八十八夜より二百十日までを除外し,他は許可となる新江用水は東方山すそを北に2里余り流れて山窪村に至り,五領用水に合流する北西にある野中山王村の大庄屋高椋家は代々この用水の井守役を勤め,天保10年から明治期まで新江筋諸雑用盛立帳などの史料を所蔵同用水受益の村は上金屋以下長畝【のうね】に至る22か村「足羽県地理誌」によると,戸数21・人口126(男66・女60),田2町6反余・畑3町3反余,物産は木綿150反,川船5明治4年福井県,以降足羽【あすわ】県,敦賀県,石川県を経て,同14年福井県に所属同17年東二ツ屋村と改称

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

二ツ屋村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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二ツ屋村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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二ツ屋村(近世)
江戸期の村名塩谷郡のうち弐屋とも書く鬼怒【きぬ】川上流域の山間地に位置する「慶安郷帳」に村名が見えるが,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」には見えず,江戸前期以後は藤原村のうちに含まれるようになった「慶安郷帳」では宇都宮藩領村高は「慶安郷帳」9石余(畑のみ)江戸前期以後は藤原村の小名の1つとして二ツ屋の名が見え,藤原村旧名主宅に現存する近世文書において二ツ屋の名が記される史料は少ないが,その1つに享保12年の藤原村新畑水帳があるこれは享保8年の五十里【いかり】洪水ののちの新畑開墾に伴う検地帳で,これによって二ツ屋に数人の農民が住んでいたことがわかるほかには宝永8年の藤原村差出帳,寛延2年の検見案内帳控,安永6年の年貢割付状,安政2年~元治元年の定免写書上帳,慶応2年の年貢免状などに二ツ屋の名が散見されるこれらによると,藤原村の村高365石余から永荒引12石余を引いた残高が藤原村本郷分304石余・栃窪分8石余・弐屋分12石余・小網分27石余と分けられており,それぞれに石盛と取永が記されている当地は栃窪・小網とともに藤原村の枝郷をなしていたものであろうしかし,現在では当地が藤原村内のどこに位置していたかは判然としないなお,江戸期の五十里村地内の塩原村境に二方鳥屋山が現存し,その近くには弐枚沢という地名もある...

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二ツ屋村(近世)
 江戸期~明治11年の村名...

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二ツ屋村(近世)
江戸期の村名魚沼郡のうち六箇村7か村の1つ信濃川支流羽根川上流右岸地名は,草分けが2軒であったことに由来する建長2年開発の記録もあるが,不詳0.5km上った所に二ツ屋村から分かれた野中の集落がある麻畑・田麦・野中・二ツ屋を経由する旧街道は,小貫沢【こつなぎざわ】から栃窪峠に通じていた上杉景勝領であった頃の文禄5年の文書に弐屋と見え,当時伝馬料25石を受けていたはじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「正保国絵図」23石余,「天和高帳」では六ケ村に含まれ,「元禄郷帳」では二ツ屋村30石余天和3年検地帳では,反別田2町余・畑屋敷若干元禄7年改村鑑によれば,家数3(本家のみ)・人数32,馬7神社は諏訪大明神庄屋は置かれず,六箇村を統括する庄屋が麻畑村に置かれた江戸中期に六箇村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることもあったのち十日町市通称十日町の戊の地番地域となる...

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二ツ屋村(近世)
 江戸期~明治4年の村名...

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二ツ屋村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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二ツ屋村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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二ツ屋村(近世)
江戸期~明治17年の村名二つ屋・二津屋とも書く婦負【ねい】郡寒江【さぶえ】郷のうち牛ケ首用水の開通により野口村の枝村として村立てをしたもので,村名は人家が2軒あったことによる(婦負郡誌)はじめ加賀藩領,のち富山藩領承応4年の村高101石余・免2.6以後幕末まで高変わらず,免4.6となる(高辻帳/県史近世下・文化7年松平淡路守様御領分村々高免帳/杉木文書)肝煎は九郎右衛門慶応4年の村と合わせて戸数9・人口45(郡方人別書上帳 県史近世下)明治9年石川県,同16年富山県に所属同17年北二ツ屋と改称...

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二ツ屋村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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