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- 船町(近世)とは
「船町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 船町(近世) 江戸期~明治5年の町名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 船町(近世) 江戸期~明治8年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 船町(近世) 江戸期の町名広島城下中島組に属す舟町とも書く広島城の南,元安川西岸中島本町の枝町湯屋町筋の南に続く竪町で,南は武家屋敷町の水主【かこ】町町名は,船着の町の意による(旧県史)広島築城の時,城下の水運の便を開くため太田川の多くの分流を整備し,船町の地を船着場としたほか平田屋川・西塔川の両運河の開削も行われた浅野氏入国時の元和5年の城下絵図では町間数3町34間寛永2年の家数改では本家94・借屋215寛永年間広島城下絵図では上船町・下船町に分ける町内には廻船を業とした志和久屋,もと福島氏家臣であった刀鍛冶輝広が住んだ浄土宗誓願寺は天正18年,同宗清岸寺は慶長2年,真言宗西福院は文禄2年の開基真宗教念寺は文禄年間頃己斐【こい】村から移転ほかに真言宗慶蔵院・安楽院・満松院がある(知新集)寛永~承応年間頃満松院の境内社天神社にちなんで天神町と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 船町(近世) 江戸期の中津城下の町名初期城下町14町のうち下の8町の1つ享保4年に軒数58・竈数74,天保頃酒造業者2軒があった古魚町組の町年寄支配下にあった奥平氏時代59町の1つ明治初年は木工が多かったという現在も中津市中津地区の通称地名として存続... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」