ケータイ辞書JLogosロゴ 保井戸村(近世)


岐阜県>下呂町

 江戸期〜明治8年の村名。飛騨国益田郡麻生郷,のち下原郷のうち。天正17年6月6日の金森長近年貢諸役免除状写に「ほいとの小右衛門尉方」と見え(高山郷土館所蔵文書),郡上【ぐじよう】郡長滝寺実蔵坊の慶長10年の飛騨檀那目録にも「ほいと小衛門」と見える(経聞坊文書)。天正14年から金森氏領,元禄5年以降は幕府領。村高は「元禄検地帳」30石余,「天保郷帳」62石余,「旧高旧領」65石余。「国中案内」の家数19・田畑反別3町9反余。「後風土記」によれば,家数34・人数225,産物は穀類のほか大繭51貫目・小繭256貫目・楮152貫目・茶123貫目・木綿24貫目・真綿1貫400目・生糸64把・紬縞10反・糸入縞15反・串柿100連・ズイキ40貫目・鰷2,500・鮠3,000・アジメ2斗5升・雑魚3斗・猪2・鹿5・山鳥5など。産土神は八幡宮と山神社。ほかに石神2柱や薬師堂がある。石神2柱は往古田畑開墾の時,掘り出したものと伝える。東は川,西は山越えで美濃国岩屋村へ1里15町,南は瀬戸村へ半里余,北は門原【かどはら】村へ半里余,高山町へは15里半。明治8年下原村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7346580
最終更新日:2009-03-01




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