ケータイ辞書JLogosロゴ 本阿弥新田(近世)


岐阜県>海津町

 江戸期〜明治30年の新田村名。美濃国石津郡のうち。明暦2年の検地で村高2,300石余に確定,うち高須藩領1,836石余が当村分で,残り尾張藩石河【いしこ】氏給知463石余は福江村の枝村となり沼村とも称す。当村は元禄4年幕府領となり,村高とともに幕末まで変わらず。信楽【しがらき】・大津・土山の代官支配も受けたが,多くは笠松郡代の支配下にあった。延宝2年より年貢収納は定免6ツとなるが,水損多く年貢皆済は同5年と元禄3年にすぎない。宝永4年の大地震では地盤沈下があり水損をいっそう進めた。池成・堤敷・荒地などによる引高合計は,享保6年185石余・延享3年1,165石余となる。戸口は,享保6年33戸・104人から安永4年23戸・95人となり村全体が困窮した。寛延3年には,持高放棄を笠松郡代へ許願したが許されなかった。農間稼ぎに,男は山稼ぎ・女は木綿織をするほか,田畑通路用の小船口を持ち,藻草取りをした。鳥取運上133文余・池運上516文余を上納。享和2年,堤かさ上げ工事が完了し大江・中江両川の氾濫を防止できると同時に,起返し,入れ土を行い生産安定を図った。戸口も文化2年22戸・112人から慶応4年33戸・128人となり,農間期に藁細工をした。元禄元年より助郷で中山道関ケ原宿に出役。明治4年岐阜県石津郡,同13年岐阜県下石津【しもいしづ】郡に所属。同24年の濃尾地震の被害は全戸数30のうち全壊14・半壊15(震災誌附1)。同30年海津郡西江【にしえ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7346677
最終更新日:2009-03-01




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