ケータイ辞書JLogosロゴ 牧村(近世)


岐阜県>安八町

 江戸期〜明治30年の村名。美濃国安八郡のうち。はじめ松平忠吉(清洲に居城)領,慶長16年信濃飯山藩領となり,元和5年からは尾張藩領(同藩家老成瀬氏知行)。村高は「慶長郷牒」「正保郷帳」「天保郷帳」とも563石余(うち田267石余・畑247石余・野年貢49石),「旧高旧領」で948石余。安政5年以降,美濃路墨俣【すのまた】宿の助郷村となる。宝暦6年の戸数300・人数1,243(濃陽志略)。揖斐川を渡るため隣村の中村との間に牧村の渡しがあった。江戸期馬瀬村とともに水防に努め,牧輪中を形成。輪中内の排水が江戸後期特に悪化し,水田の多くを堀田にしてしのいだ。堤外地の畑では雑穀・実綿・藍・菜種などを栽培。明治4年岐阜県に所属。同14年の戸数299・人口1,419。同24年の濃尾地震の被害は,人数1,577のうち死傷者43,戸数301のうち全壊295・半壊6(震災誌附1)。同30年牧村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7346709
最終更新日:2009-03-01




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