ケータイ辞書JLogosロゴ 間島村(近世)


岐阜県>羽島市

 江戸期〜明治30年の村名。羽栗【はぐり】郡のうち。はじめ稲葉正成知行地,元和5年からは尾張藩領。村高は239石余(うち田方105石余・畑方134石余)。桑原輪中のうち(徳川治水記)。「濃陽徇行記」によると,当村は東西6町・南北4町。戸数60・人口265,馬8頭。名古屋へは7里。集落は逆川堤沿いに東西に続き,油屋・紺屋・菅大臣縞織屋などもある。助郷は美濃路墨俣【すのまた】宿に出役。神社は聖権現社・八幡社など4社。寺院に真宗東派仏願寺がある。明治4年岐阜県に所属。同5年の村明細帳の戸数90・人口425。同7年羽栗郡内に同名の村ができたため西間島村と改称したが,同12年旧称に戻る。同24年の濃尾地震の被害は全壊82・半壊12(震災誌附1)。同30年羽島郡福寿村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7346761
最終更新日:2009-03-01




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