ケータイ辞書JLogosロゴ 松枝荘(中世)


岐阜県>笠松町

 鎌倉期から見える荘園名。尾張国葉栗【はぐり】郡のうち。初見は「吾妻鏡」建久元年4月19日条の「尾張国 松枝保」で伊勢大神宮役夫工米の未済により地頭が成敗されている。次いで,建久3年12月一条能保は「亡室遺跡廿ケ所」のうち「尾張国松枝領」を娘の全子(西園寺公経室)に譲与する(同上)が,承久2年11月19日西園寺公経は「尾張国葉栗郡松枝庄」を兵部卿仲資王家領と交換している。当時の荘の四至は「東限門真庄,西限玉井庄,南限中嶋郡,北限黒田河」であった(大徳寺文書)。室町期に入り「松枝庄破田郷」は大徳寺領となり(同上),愛知県葉栗郡木曽川町に割田【わりでん】の地名が残る。荘域は,承久2年当時の四至から推測して,ほぼ現在の愛知県木曽川町東部と,北に隣接する一宮市域を含めた地域と考えられるが,その一部は現笠松町の木曽川右岸沿い(近代の松枝村)付近にも比定されようか。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7346778
最終更新日:2009-03-01




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