ケータイ辞書JLogosロゴ 松木郷(中世)


岐阜県>海津町

 織豊期に見える郷村名。尾張国のうち吉村氏吉知行地。戦国期に松木城に拠った吉村氏は,本能寺の変後尾張を版図に入れた織田信雄に属し,天正10年12月本領を安堵され,次いで同11年9月1日には扶助として「松の木」など「合拾四ケ条三千貫余」を給与され,信雄家臣団の中では有力な上級家臣であった。翌12年の小牧・長久手の戦では織田・羽柴方との係争地に位置したため,両軍の攻防が最後まで繰り広げられたが,吉村氏吉の奮戦により防衛されている。同14年7月23日,領国内の知行割替により「三百六拾五貫弐百五拾八文 松木郷」など合わせて4,819貫51文を宛行われ,同18年7月に織田信雄が改易されるまで知行した。のち,吉村氏吉は関東に入部した徳川家康に招かれたが,豊臣政権の介入により反古となり,肥後加藤清正の家臣となった(吉村文書)。真宗蓮台寺は長享2年の創建と伝える(寺院明細帳)。天正14年6月の大洪水による木曽川の河道移動で,のち美濃国のうちとなる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7346796
最終更新日:2009-03-01




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