ケータイ辞書JLogosロゴ 松原島村(近世)


岐阜県>川島町

 江戸期〜明治22年の村名。美濃国羽栗【はぐり】郡のうち。旗本新加納坪内氏知行地。村高330石余。正徳年間の戸数72・人口382,馬14。当村から尾張国大野村(愛知県一宮市)に至る渡船は,大野渡船と呼ばれ万延元年に差留めとなる。文久3年,尾張葉栗郡極楽寺村・大野村・西海戸村の3庄屋が連署して,北方代官に渡船場の新設を願い出たが,河田渡船に近接しすぎるとの理由で却下されたようである。明治2年の村況は,すべて畑地,家数189・人口882・船36,漁猟場がある。農間に男は船稼ぎ・漁業稼ぎ,女は絹・結城機織稼ぎをした(川島町史)。村社八幡神社,浄土真宗本願寺派西養寺がある。同4年岐阜県に所属。同6年西養寺本堂を仮校舎とする博文義校が設立される。当時の生徒数男87・女17。同22年羽島郡川島村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7346804
最終更新日:2009-03-01




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