ケータイ辞書JLogosロゴ 南及村(近世)


岐阜県>羽島市

 江戸期〜明治30年の村名。美濃国羽栗【はぐり】郡のうち。はじめ岡田将監知行地。次いで加納藩領となり,のち幕府領となる。村高は「慶長郷牒」「正保郷帳」160石余,「天保郷帳」「旧高旧領」では169石余。大浦輪中のうち(徳川治水記)。文化12年の村明細帳では,東西141間・南北242間。戸数32(高持23・無高9)・人口163。笠松役所へは30町,名古屋へは7里。農間稼ぎに男は縄仕事,女は着用の布木綿織。鎮守は加茂大明神。明治2年の村明細帳の戸数36・人口162。同4年岐阜県に所属。同24年の濃尾地震の被害は59戸すべてが全壊(震災誌附1)。同30年羽島郡正木村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7346916
最終更新日:2009-03-01




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