ケータイ辞書JLogosロゴ 南之川村(近世)


岐阜県>羽島市

 江戸期〜明治30年の村名。美濃国羽栗【はぐり】郡のうち。はじめ仙石忠政知行地,元和5年からは尾張藩領,一部は八神毛利氏知行地。村高は207石余(うち田方133石余・畑方73石余)。足近輪中のうち(徳川治水記)。寛政年間の村況は,東西4町・南北3町。田畑16町余。戸数37・人口164,馬4頭。名古屋へ7里の地。集落は堤沿いにある。助郷は美濃路墨俣【すのまた】宿に出役。鎮守は大明神社(濃陽徇行記)。慶応2年賃織する家が30軒あり結城縞を織り出す(山田家文書)。明治4年岐阜県に所属。同5年の村明細帳の戸数41・人口207。同7年9月隣接の島村の一部を合併。同24年の濃尾地震の被害は全壊58(震災誌附1)。同30年羽島郡足近村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7346933
最終更新日:2009-03-01




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