ケータイ辞書JLogosロゴ 三宅村(近世)


岐阜県>岐南町

 江戸期〜明治30年の村名。羽栗【はぐり】郡のうち。はじめ稲葉内匠正成の領地,元和5年尾張藩領となる。蔵入地のほかに高木八郎右衛門・石河兵庫・小笠原三郎右衛門の給地がある(濃州徇行記)。村高は「慶長郷牒」「正保郷帳」500石余,「天保郷帳」525石余,「旧高旧領」500石余。宝暦年間の家数82・人口385(濃陽志略)。明治4年岐阜県に所属。同5年の村明細帳では,村高631.6石余,戸数92・人数411。社寺に石作神社・天神宮・八幡宮,臨済宗妙心寺派如意寺・浄土真宗本願寺派浄福寺等がある。同8年の「美濃国民俗誌稿」によれば男は農事を務め,女は結城・桟留を織るという。同24年の濃尾地震の被害では,戸数108が全壊した(震災誌附1)。同30年羽島郡上羽栗村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7346965
最終更新日:2009-03-01




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