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- 山脇村(近世)とは
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山脇村(近世) 江戸期~明治7年の村名野洲【やす】郡のうち地名の由来は三上【みかみ】山の北に続く妙光寺山・甲【かぶと】山の西麓に位置し,山の脇にあるため天正19年の「領知目録」(大谷文書)に68石余と見える江戸初期は,幕府領観音寺支配地,のち旗本斎藤氏領検地は慶長7年村高は「寛永高帳」71石余,「天保郷帳」74石余で,以後幕末まで変わらず(旧高旧領)庄屋は代々清左衛門家,家数は6軒を前後している「九山八海【くせんはつかい】石」の名石がある(輿地志略)石の高さ約5尺,周囲約1丈8尺,山のようなところ9,海のようなところ8の凹凸があり,あるとき子供が槌で打ち砕いたが,一夜でまた元のとおりになったというまた山中には,元亨4年の刻銘のある磨崖仏や,福林寺跡磨崖仏がある山脇村とは別に,小字「はい坂(拝坂)」近辺に福林寺村があったとの伝承がある明治5年滋賀県に所属同7年野洲郡小篠原【こじのはら】村となる現在の野洲町大字小篠原の一部 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
山脇村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
山脇村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
山脇村(近世) 江戸期~明治10年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
山脇村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」