ケータイ辞書JLogosロゴ 鷲見村(近世)


岐阜県>高鷲村

 江戸期〜明治30年の村名。美濃国郡上郡のうち。郡上藩領。「正保郷帳」の村高37石余(うち田3石余・畑33石余)。「天保郷帳」71石余,「旧高旧領」61石余,宝暦年間の「郡上郡村々高覚帳」では村高61石余,戸数15。安永2年の「郡上領地留記」によると莚・入草・竹の子・干栗・箒が課役されている。明治4年岐阜県に所属。同5年の村明細帳の戸数107・人口718,(うち職人3・医師1・農鍛冶1)。鎮守は白山社。薬師堂・観音堂のほか真宗大谷派教願寺がある(郡上郡史)。明治6年教願寺本堂を仮校舎として鮎立義校鷲見分校(現在の高鷲小学校鷲見分校)を設立。明治8年鷲見【すみ】西洞村を合併するが,同15年再び分村。「町村略誌」によると稗・大豆・馬鈴薯・麻・繭・楮皮・炭・大根・蕪などを産出,中でも繭・蕪・馬鈴薯は名産。同30年高鷲村【たかす】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7347367
最終更新日:2009-03-01




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