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![]() | 青木村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 青木村(近世) 江戸期~明治8年の村名安曇【あずみ】郡のうち青木湖岸にそって「エビスマ」地名が広く分布するまた,青木湖で漁撈を営み中世末期までこの湖岸に集落をつくり居住したとの伝承がある中世末期までエビスマは,青木村の故地で,氏神水神社跡は,なお古宮と呼称されている江戸期に入り,湖面から吹きつける風のため,現在地に集落を移転した青木湖北岸には,縄文早期のクマンバ遺跡が,また湖の南西端の湖棚上には,縄文中期の遺跡があり多量の遺物を検出している青木の地名は,天正19年の細萱長知ら連署状案(栗林文書/信史17)に,「あう木ノ与兵衛殿」とあるのを初見とし,当時の青木郷の課役の一つに海の役として赤魚200疋を上納させていた松本藩領大町組に属する村高は「慶長改帳」5石余,「正保書上」「元禄郷帳」ともに4石余,「天保郷帳」14石余,「旧高旧領」15石余貞享4年大町組宗門改人数寄帳(県史近世史料5-1)によれば,人数79うち男43・女36元文4年大町組家数村別帳(同前)では,家数17うち高持軒役家12・高持無軒役4・無高水呑1安政2年安曇筑摩両郡村々明細書上帳(同前)によれば,家数15・人数105村の北部,佐野坂入口の糸魚川街道には,湖に南面して,文政12年,伊那高遠の石工によって彫造された西国三十三か所観音像が並立するまた,糸魚川街道に沿った集落の入口には,仁科三十三番札所第15番の堂崎観音がある明治4年松本県を経て筑摩県に所属同8年平村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 青木村(近世) 江戸期~明治9年の村名水内【みのち】郡のうち虫倉山南斜面にあって土尻川下流域に達する山麓地地名は「おおやけ」の転訛,古代の駅とする説もある(信濃国地字略考)松代藩領村高は,「慶長打立帳」434石余,「正保書上」「元禄郷帳」ともに437石余,「天保郷帳」477石余,「旧高旧領」531石余天保11年免相3ツ7分,山方2ッ6分(免相本新田高附)元禄15年の枝村は若宮平・仮宿・里原・宇津橋・根踏・鹿杭【かくい】・田頭・穂高・天間の9か村(絵図仕立帳添目録)安政3年戸数139,平組・中組・入組に組分けされている(領内村々家数留/県史近世史料7-1)文化6年の人口651(封内人員)元治元年には平組96戸で馬数45(青木村書上帖)堂宮は,元禄10年観音堂ほか5堂,伊勢宮ほか11社個人持ち,文政7年村持ちになる(堂宮改帳)天明4年の山中騒動は「卯辰の飢饉」のため山中26か村の百姓一揆となり,13か村21人が入牢させられたが当村では該当者はなかった(山中騒動記)天保2年飢饉に備え郷倉を設置(中条村誌)弘化4年善光寺地震では土尻川湛水による水入りで難渋した(むしくら日記)明治4年松代県を経て長野県に所属同6年の戸数134・人口794主な物産は米・大麦・小麦・大豆・蕎麦・煙草・藍・皮楮(癸酉年物産御書上控)同7年学区は中条学校に所属,翌年通学の便を図って平組に支校を設置同9年住良木【すめらぎ】村の一部となる... |
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