ケータイ辞書JLogosロゴ 上張村(近世)


静岡県>掛川市

 江戸期〜明治22年の村名。遠江【とおとうみ】国佐野【さや】郡のうち。はじめ山内氏領,のち掛川藩領。村高は,文禄2年の検地では590石余(掛川市誌),「元禄高帳」609石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに622石余。「掛川誌稿」によれば戸数63・人口277。助郷は東海道掛川宿に出役。稲作を主とし五穀のほか野菜を栽培。用水は溜池を利用。農間余業に男は山稼,わら細工,女は木綿・葛布などを織った。社寺は牛頭天王若宮社・曹洞宗大日寺・同宗随竜寺・同宗長久寺。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡県に所属。明治22年南郷村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7347504
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ