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網代村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
網代村(近世) 江戸期の村名杵島【きしま】郡のうち白石【しろいし】平野中央部に位置する佐賀本藩領白石六角郷に属す村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに665石余,「天保郷帳」では765石余,「旧高旧領」には見えない寺院は曹洞宗妙音寺水利は杵島山北東麓にある永池溜池を利用六角川畔にある今泉村の中津に,中津荘があった平安期頃(大宰府政所下文),当村は有明海の海岸線であったと推定される(白石町史)享保年間長崎脇街道が六角川沿岸から六角宿・当村を通り,高町の宿(現有明町)・鹿島を経て多良【たら】から長崎へ通じていた「明治7年取調帳」では今泉村の枝村に見える「明治11年戸口帳」によれば,今泉村のうちに「網代村」と見え,戸数20・人口96... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」