ケータイ辞書JLogosロゴ 市原在家(中世)


静岡県>三島市

南北朝期〜室町期に見える地名伊豆国田方郡郡宅郷のうち狩野川の支流大場川右岸に位置する永徳2年9月25日鎌倉公方足利基氏御教書及びこれを請けた同年10月16日の伊豆守護上杉憲方施行状・同年10月26日の大石能重打渡状によれば,当地はかつて佐介上野介の所領であったが,延文6年に三島社に寄進,永徳年間には一時鎌倉の大仏寺に付されたものの,改めて三島社に安堵されたことが知られる(三島神社文書/神奈川県史資料編3上)延文6年6月25日の三島社宛足利基氏寄進状には当地の称は直接見えないが,「伊豆国郡宅郷内……佐介上野介……町女子跡」を「任阿波入道道誓(畠山国清)注申之旨,如之所令寄進也」とあり,同年6月1日付の関東執事畠山国清下知状が佐介上野介跡を三島社御供田にすべき旨を命じていることから考えて(同前),市原在家は畠山国清の意向によって三島社に寄進されたものである江戸期の市ケ原町付近に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7347892
最終更新日:2009-03-01




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