ケータイ辞書JLogosロゴ 市ケ原町(近世)


静岡県>三島市

江戸期〜明治22年の町名伊豆国君沢郡のうち狩野川の支流大場川中流右岸に位置する中世には市原在家の地名が見える町名の由来は,中世以来ここで市がたったことによる東海道三島宿21町の1つ幕府領元治2年の石高145石余,戸数71・人口304(三島町誌稿)また,宗門人別取調書上目録によれば,慶応3年の石高134石余,戸数74,うち本家39・地借16・店借19,人口294(三島市誌)中世以来の市のたつ所として知られ,商家が建ち並んでいた寛文年間には上り人足15人が課されている寺院は臨済宗祐泉寺明治元年韮山県,同4年足柄県を経て,同9年静岡県に所属同3年の石高135石余,戸数75・人口283(三島町誌稿)明治22年三島町の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7347893
最終更新日:2009-03-01




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