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- 伊福郷(古代)とは
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伊福郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」安芸国佐伯郡十二郷の1つ「芸藩通志」は,「伊福も仁安中寄附状に,佐東郡伊福郷堀立に見ゆ」とし,仁安元年11月17日の伊都岐島社領安芸国志道原荘倉敷内畠在家検注帳に「右御倉敷,佐東郡内伊福郷堀立江上牓示所打定如件」との記事をひく(新出厳島文書)同日付の同荘倉敷内畠在家立券文にも同じく「佐東郡内伊福郷堀立江上」と見える「地理志料」は,佐伯郡三宅村(現佐伯区)に,「地名辞書」は,久地村(現安佐北区安佐町久地)にあてるが,「県史」は,「芸藩通志」の説に従い,堀立を現祇園町帆立に比定し,その付近とする倉敷は太田川口にあり,妥当な説である祇園町市街地の西から長束にかけて東西8町・南北20余町にわたる条里遺構が認められるなお「続日本後紀」天長10年10月9日条に見える「佐伯郡人伊福部五百足」,「日本書紀」安閑天皇元年閏12月条の「安芸国過戸廬城部屯倉」は,当郷に連なる可能性がある |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
伊福郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」美濃国池田郡六郷の1つ伊福は五百木・五百祁などとも表し,これを名乗る者は大宝2年御野国戸籍では味蜂間【あじはちま】郡春部里・本簀【もとす】郡栗栖太【くるすだ】里・山方郡三井田里・加毛郡半布里に分布し,特に三井田里には多く見えているその部としての性格は定かではなく,景行天皇の皇子五十木之入日子命の名代部とする説,踏鞴をつかさどる製鉄関係の職業部とする説,天皇や皇族の食饌を煮焚きし湯を用意する職を持つとの説が主なものである「延喜式」の神名帳には不破郡に伊富伎神社を挙げているが,美濃西端にある伊吹山とのかかわりも無視できない伊福郷の地もその東麓に求められよう揖斐【いび】郡春日村に比定する説がある(濃飛両国通史・県史)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
伊福郷(古代) 平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
伊福郷(古代) 平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
伊福郷(古代) 平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」