ケータイ辞書JLogosロゴ 入出村(近世)


静岡県>湖西市

 江戸期〜明治22年の村名。敷知【ふち】郡のうち。大名青山氏領,延宝6年浜松藩領,元禄11年旗本松平氏領を経て,同15年からは浜松藩領となる。村高は,「元禄高帳」357石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに354石余。「風土記伝」によれば大知波村の分村とあり,寺社に曹洞宗昌太寺・同宗無量寺・八幡社,ほかに今川氏真の家臣小原肥前守が拠った宇都山古城址がある。「遠淡海地志」では戸数200で,アグリ網を用いて捕獲した鰻は新居宿へ販売されるとある。漁業は比較的盛んで,当村は毎年11月から翌年2月に至る3か月間他村の寄鯐漁業を禁じて独占できる六帖網の漁業権を保持していた(三ケ日町史上)。江戸初期には寛永12年徳川家光の上洛の途次御用肴の献上を命じられたり,魞鮒【えりふな】漁に年貢が賦課されたりしたが,実際には寛永9年の暴風高波のため御浦湖に浜名湖の湖水が浸入して鮒・鯉が減少して鰡が多くなったので,大宝網から御用網に変更された。また寛文8年寄魚の漁獲高を領主と網元で折半することとなり,元禄13年には大崎村と漁権をめぐり争論が起こり,同14年に漁権が制限されるという評定所の裁許を得たりした。のち肥料網も行う(湖西の文化・湖西近代百年史年表)。はじめ白須賀・新居両宿の大助郷村であったが,享保年間からは新居宿の助郷村となる(湖西近代百年史年表)。戸数・人数は文政5年214・1,063,天保13年237・1,170(同前)。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡県に所属。明治5年の戸数282・人数1,302(湖西近代百年史年表)。同14年の戸数290・人口1,729(湖西の文化)。明治22年市制町村制施行により単独で自治体を形成。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7348049
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ