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- 江口村(近世)とは
「江口村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 江口村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 江口村(近世) 江戸期~明治9年の村名筑後国竹野郡のうち耳納【みのう】山地中央部の北方,巨瀬【こせ】川下流右岸の微高地上に位置する天正16年2月12日の庄崎弥七郎宛の坪付に当村名が見える(庄崎文書/県史資料10)はじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領寛保3年岸藤太夫が40石を知行(給知高帳)唐島組に属す村高は,「元禄国絵図」95石余,「在方諸覚書」の古高160石,「天保郷帳」105石余,「旧高旧領」207石余宝暦年間頃の役高は346石,久留米より3里30町(在方諸覚書)寛政元年撫6斗8升,免率6ツ8歩5厘,人数124,馬12(筑後上三郡取調手鑑)嘉永元年頃の作柄は「大凡6俵の田方,4俵半の畑方」(廻村書留),文化4年の耕地は田1町余・畑田17町余・畑5町余(農政農民史料集)当村庄屋は文禄2年以降引き続き庄屋役を勤めた(久留米藩旧家由緒書)氏神を祀る天満宮,もと禅宗水岸寺の本尊と伝える薬師・阿弥陀がある(寛延記)明治9年以真恵村の一部となる現在の田主丸町以真恵の一部にあたる... |
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![]() | 江口村(近世) 江戸期~明治30年の村名... |
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![]() | 江口村(近世) 江戸期の村名小城【おぎ】郡のうち牛津【うしづ】川下流西岸の平坦地に位置する佐賀本藩領戸川郷に属す地名の由来は牛津川の河口に近いことから起こったものか(江北町史資料)鎮守は沖の森神社「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」では小村として庄村がある「小城郡村誌」によれば,小城郡下砥川村の字地として見える「明治11年戸口帳」によれば同じく下砥川村のうちに江口分と見え,戸数26・人口137... |
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