岡部町(近代)
明治22年〜現在の志太郡の自治体名。岡部宿と内谷・三輪・子持坂・桂島・入野・村良【むらら】の6か村が合併して成立。大字は旧宿村名を継承。大字岡部宿はのち大字岡部となる。役場を大字内谷に設置。のち大字岡部に移転。明治24年の戸数837・人口4,702,厩27。世帯・人口は大正9年948・5,533,昭和25年1,091・6,692,同35年1,763・1万248。明治20年代からミカン・茶の栽培が盛んで養蚕も発達した。同22年国鉄東海道本線が開通し,近隣の焼津駅・藤枝駅を通過するため岡部町の発展は停滞する。同22年大字岡部に派出所を設置。翌年には町内の小学校を統合した岡部尋常小学校が大字内谷に開校する。同28年大字岡部〜大字桂島間に貝立隧道が開通。同43・44年の2度にわたる水害により,近隣の14か町村が協同して明治44年12月瀬戸川水害予防組合を創設。大正元年防水規定を決議し,岡部町防水区が制定された。防水区は岡部・桂島・子持坂の3組からなる。大正4〜9年の6か年間,瀬戸川一部の改良工事を施行した。明治45年には大字岡部と内谷に電灯がつく。大正年間の産物は歯朶細工・石材など。大正14年藤相鉄道が開通となり藤枝駅まで接続。昭和5年宇津ノ谷に昭和第1トンネルが開通し,自動車の通行が可能となる。同6年乗合自動車が焼津〜小持坂間に運行。同11年藤相鉄道廃止。同22年新制の岡部中学校開校,昭和30年朝比奈村を合併。7大字を加え,14大字となる。昭和37〜42年にかけての農業構造改善事業により大字内谷・子持坂・三輪などの水田がミカン園となる。近年ミカン価格の低迷により兼業農家が増加している。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp
(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7348722
最終更新日:2009-03-01