ケータイ辞書JLogosロゴ 刑部郷(中世)


静岡県>細江町

 室町期から見える郷名。引佐郡のうち。年月日未詳であるが,文明末年のものと推定される諸国御料所方支証目録(内閣文庫所蔵文書/和歌山市史4)に「一,遠江国刑部郷 御教書二通 遵行一通」と見えるのが初見。当郷が室町幕府の御料所であったことなどが知られる。下って天正年間からは刑部村として見え,天正5年4月23日の徳川家康充行状(家康文書上)によれば,服部中保次が地内に100貫文を給されている。また,天正8年12月24日の酒屋正成道者職売券(輯古帳)に「遠江国 おさかへの里一円」とあり,当地の道者職が八日市(現三重県八日市市)の米屋宗吉に売り渡されている。なお,当地の刑部砦は元亀3年武田信玄が三方ケ原の合戦で徳川家康を破ったあと陣所としたところという(浜松御在城記)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7348787
最終更新日:2009-03-01




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