ケータイ辞書JLogosロゴ 小高郷(中世)


静岡県>掛川市

 鎌倉期から見える郷名。佐野郡のうち。建久3年8月の伊勢大神宮神領注文(神宮雑書/鎌遺614)に,「小高御厨給主并小高郷,以山口郷,称小高御厨知行之間,所令闕怠山口御厨供祭神役也」とあるのが初見。小高御厨は当郷内に設定された伊勢神宮領の御厨であるが,同御厨給主と当郷が,山口郷を当郷内とみなして山口御厨分の供祭神役を怠っていることが知られる。その後,応永18年3月および永享7年3月の宝幢寺・鹿王院領目録(鹿王院文書/神奈川県史資料編3)に見え,室町期には当郷が足利義満建立の鹿王院領となっている。文明7年5月16日の室町幕府奉行人奉書や同10年5月27日の足利義政御教書案(鹿王院文書/岐阜県史史料編古代中世4)でも鹿王院領であることが確認されるが,この頃当郷を含む同院領は諸方面から押妨を受けている。ほかに,永和3年5月8日付三光寺大般若経奥書(巻462)や天正12年玄月の五明二所権現社棟札(県史料4)にも当郷の名が見える。「神鳳抄」では小高御厨は山口御厨と同所としているので,比定地は江戸期の山口郷,現在の掛川市南東端付近と推定されるが,詳細は不明。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7348811
最終更新日:2009-03-01




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