ケータイ辞書JLogosロゴ 賀子(中世)


静岡県>三島市

戦国期に見える地名伊豆国田方郡のうち狩野川の支流大場川流域に位置する弘治3年と推定される9月3日付山木大方(北条氏康妹)印判状によれば,修禅寺5代明山憐察の隠居に際し,その隠居所に正覚院を指定し,併せて山木大方亡夫堀越六郎菩提所として岩崎と賀子の地の年貢15貫文を正覚院に寄進,明山にその管理を委ねている当地の代官には清水惣兵衛なる者が任じられている(修禅寺文書/県史料1)この寄進は翌永禄元年6月1日北条氏康判物で堀越六郎日牌(毎日の位牌供養)領として認可せられた(同前)天正16年6月16日正覚院宛て北条家朱印状・天正17年6月28日正覚院宛て北条家朱印状・同日付修禅寺宛て北条家朱印状によると,明山の没後,賀子・岩崎の15貫文をめぐって正覚院と修禅寺の間に相論が起こり,北条氏の裁許で,これを旧来通り正覚院領とすること,しかし,正覚院は末寺として修禅寺の指図に従うべきことなどが定められている(同前)小田原北条氏の「役帳」には寺領のうち三島護摩堂(三島社別当)の役高として「拾貫文 三島加古・岩崎内」とあるほか,修禅寺の役高として「拾五貫三百文 加古 増分 戊午歳御寄進」と見える戊午歳御寄進とは先の永禄元年の北条氏康の寄進を示している当地は遺称地が見えず,正確な比定地は未詳であるが,前掲諸史料に「三嶋之内賀子・岩崎」などとあり,現在の三島市域に存在したと考えられる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7348938
最終更新日:2009-03-01




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