ケータイ辞書JLogosロゴ 川合村(近世)


静岡県>佐久間町

 江戸期〜明治22年の村名。豊田郡のうち。はじめ徳川氏領,慶長14年駿府藩領,元和5年からは幕府領。西手領,のち天竜上川組に属す。村高は,「元禄高帳」156石余,「天保郷帳」160石余,「旧高旧領」149石余。山村のため耕地の大部分は畑地。年貢は皆金納,立物2割出・網運上などが賦課されるほか,天竜川榑木輸送に関して日明【ひあり】御綱場役などを勤め,朝鮮人使節来朝の際は,池田(現豊田町)で舟橋宛物に材木類を納めた。寛保2年の村明細帳では,家数58(水呑13)・人数286,馬10,木挽・桶屋・鍛冶各1,猟師鉄砲3。麦・稗・黍・芋などのほか楮・桑・漆・茶を栽培。茶は土味茶といい,寛政2年は25駄を生産し,信州商人に売却して10両を得た。「風土記伝」によれば,田島には慶長年間,西手・奥山領を支配する代官片切権右衛門尉家正の役所があった。寺院には,曹洞宗川合院がある。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡県に所属。明治7年浦川学校川合分校設立。同8年戸数69・人口355(平出家文書/佐久間町史史料編2)。明治22年浦川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7349364
最終更新日:2009-03-01




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