ケータイ辞書JLogosロゴ 吉美荘(中世)


静岡県>湖西市

 鎌倉期から見える荘園名。遠江【とおとうみ】国敷智【ふち】郡のうち。(承久2年)10月17日の文章博士日野孝範書状(民経記寛喜三年九月巻裏文書/鎌遺2661)に,「吉美庄申請候政所御下□(文カ)事」とあるのが初見。当荘の得分が造寺料にあてられることになったらしく,荘の現地に造寺料納入を命じることを内容とすると思われる政所下文の発給を当荘が申請している。申請に応じて政所下文が発給されたことは,同年11月10日の惟宗某書状(同前/鎌遺2669)によって確認できる。後掲の史料から当荘が摂関家の殿下渡領であったことが知られるので,政所とは摂関家の政所ではなかろうか。造営される寺の名称は不明。嘉元3年4月頃と推定される摂籙渡荘目録(宮内庁書陵部所蔵文書/岐阜県史史料編古代中世4)では,当荘は殿下渡領のうち東北院領として見え,五辻二位(宗氏)が領家職(あるいは預所職か)を有し,免田100町で年貢は六丈絹400疋4丈の荘園であったことがわかる。暦応5年正月の摂籙渡荘目録(同前)にも同様の記載が見えるが,これによれば領家職は一条実豊の相伝とされている。その後,観応3年7月5日の渋川直頼寄進状案(臨川寺重書案文/大日料6-16)によれば,当荘内の内山郷が臨川寺三会院に寄進されており,貞治4年2月22日の官宣旨案(同前/大日料6-26)では,同院に対し同郷の伊勢太神宮役夫工米以下の諸役が免除されている。なお,文永7年閏9月25日の毘沙門天胎内願文(応賀寺文書/県史料5)には「遠江国淵郡黍庄笠子郷橋本之宿」とあり,天文24年の鷲津郷諏訪社棟札(旧諏訪神社文書/県史料5)にも「遠州淵郡吉美之庄鷲津郷」と見える。比定地は現在の湖西【こさい】市大字吉美を中心として東の大字鷲津,西の大字境宿字笠子を含む一帯。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7349592
最終更新日:2009-03-01




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