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- 久米田村(近世)とは
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久米田村(近世) 江戸期~明治9年の村名津軽郡田舎主のうち津軽平野北部,梵珠山地と平野部との境目にある大沢内溜池堤防下に位置する弘前藩領享保12年に金木【かなぎ】新田18か村のうちの1村として見え,村位は下,免合は四ツ成(平山日記)村高は,元文元年検地帳112石余,文化6年金氏覚書67石余(中里町誌),「天保郷帳」173石余,「旧高旧領」225石余元文元年の検地帳では,反別は田18町5反余・畑屋敷12町8反余,このほか広田伊門抱えの弁才天社地3反余があった他村に比べて畑地が多いまた,文化6年の金氏覚書によれば,反別は田11町余・畑屋敷4町6反余,家数15・人数85(男38・女47),馬23,地内には下木挽・鍛冶が各1軒あった明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治初年の家数27(国誌)明治4年の金木新田大沢内久米田村田畑調図式(弘前図書館蔵)によれば,村内の二タ見【ふたみ】に社があり,これは現在の胸肩神社同9年大沢内村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」