ケータイ辞書JLogosロゴ 小夜中山(近世)


静岡県>掛川市

江戸期〜明治初年の村名遠江【とおとうみ】国佐野【さや】郡のうち佐夜中山・佐野中山とも書き,「さやのなかやま」ともいう菊川上流右岸に位置する村号はないはじめ久延寺領,明治元年駿府藩領となる村高は13石余(東海道宿村大概帳)戸数24(うち3軒は奥野村にあり),人口112(掛川誌稿)東海道沿いの山間の村で,村内に江戸日本橋より56里を示す一里塚があり,左の塚は榎,右の塚は松であった立場は新茶屋といい名物飴餅を売ったほかに夜啼石伝説で知られる丸石があった稲作を主とし五穀のほか野菜を栽培用水は沢水を利用農間余業に男は往還稼,薪芝をとり,女は木綿を織った寺院は真言宗久延寺明治初年大鹿村・佐野新田と合併して佐夜鹿村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7350199
最終更新日:2009-03-01




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