ケータイ辞書JLogosロゴ 薗ケ谷村(近世)


静岡県>掛川市

 江戸期〜明治22年の村名。遠江【とおとうみ】国佐野【さや】郡のうち。はじめ山内氏領,のち掛川藩領。村高は,文禄2年の検地では311石余(掛川市誌),「元禄高帳」328石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに330石余。「掛川誌稿」によれば戸数47・人口200。東海道沿いの村で,助郷は東海道日坂【につさか】宿に出役。稲作を主とし五穀のほか野菜を栽培。用水は溜池を利用。農間余業に男は山稼,わら細工,女は木綿・葛布などを織った。鎮守は神明宮。寺院は曹洞宗印徳寺。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡県に所属。明治22年西山口村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7350917
最終更新日:2009-03-01




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